かわりゆくカンボジア(上、首都プノンペン)

 カンボジアへ通うようになって九年になる.このあいだにはUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の暫定統治があり,国連監視下での全国総選挙やそれに続く新政権の成立,そして突然のクーデターや政権の再編成など国の行方を左右する事件が立て続けに発生した.多くの人々の血が流れそしてカンボジアは変わった.首都プノンペン,観光都市シェムリアプ,そしてカンボジアの命の湖ともいうべきトンレサップ湖.たった九年前の姿を思い出すのが難しいほどに変わってしまった.そのようすをたどってみたい.

 一九九二年のUNTAC統治下のプノンペン.ほこりっぽい道路にはUNTACの白い四輪駆動車とゴミばかりが目立ち,街の人々はみな自転車かボロボロのバイクにまたがっていた.戒厳令下で灯りの消えた夜の街に人通りは少なく,外国人向けの盛り場だけがやけに明るかった.そして人々はみな貧しかった.だが一九九三年の総選挙が成功し新政権が誕生すると同時に街は変わった.UNTAC景気でうるおった首都には国際援助目当ての外国資本が次々と事務所を開いていった.アンコール遺跡観光の外国人がおおぜい訪れるようになり新しいホテルや洒落たレストランが次々と開店した.街はみるみる活気づいた.しかし人々には貧富の差が目立つようになった.レストラン前に駐車した高級乗用車のそばには赤ん坊を抱いた物乞いの女性が立ち,明るくきれいになった夜の街では帰るところのない子供たちが舗装された道路端で眠りこけていた.

 今日,プノンペンの表玄関ポチェトン国際空港から市内へ車で向かうと,この街に暮らす人々のありのままの姿をみることができる.むせかえるような熱気の中を警笛を鳴らし走る自動車の群.その合間をぬうように走り回るオートバイ.通り沿いの市場や商店にはたくさんの商品が積み上げられそれを買い求める人々があふれている.そして都心に近づくにつれて喧噪はさらに激しいものとなる.夜ともなれば原色のネオンサインが大通りに沿って輝き,ところせましと並ぶ屋台には客のとぎれることがない.一見したところ現在のプノンペンは活気あふれる東南アジアの小都市という言葉がぴったりだ.

 しかし,プノンペンの活気にはかげりが濃くなってきた.一九九七年のクーデターで観光客の足はカンボジアからいっせいに遠のいた.政権の再編成後にふたたび人が訪れるようになったものの,国外から観光都市シェムリアプへ直行便が入るようになったためプノンペンに立ち寄る観光客は激減した.さらにカンボジアへの国際援助が減少するにつれて外国資本はプノンペンから去っていった.それにともなって街からも人々からも活気は失われていった.貧富の差は開くいっぽうだと聞く.物乞いする人々の姿は少なくなったものの郊外には貧民街が形成されつつあるともいう.今のプノンペンには先行きの不安をつのらせるような重い空気がただよっている.そして,その空気が一掃される気配はない.

(金沢大学工学部土木建設工学科 塚脇真二)

 

写真1. 現在のモニバン通り.信号が設置された舗装道路に変わった.2000年3月撮影.

 

写真2.九年前のモニバン通り.道路は未舗装でシクロ(自転車タクシー)やバイクが走っていた.1992年8月撮影.

 

写真3.プノンペンの中央市場.新鮮な食料品にあふれている.2000年6月撮影.