かわりゆくカンボジア(中、観光都市シェムリアプ)

 カンボジアといって誰しもが思い浮かべるのはアンコールワットだろう。この遺跡に代表されるアンコール遺跡群は数ある世界遺産の中でも第一級のものいえる。シェムリアプはその観光基地となる町だ。アンコール文明をはぐくんだ湖として有名なトンレサップ湖の北岸にある。首都プノンペンから飛行機ならば一時間足らず、陸路や水路を使っても半日ほどでこの町へ行くことができる。

 初めてこの町を訪れたのは一九九二年八月のことだ。その当時、町のすぐ北側ではポルポト軍とカンボジア政府軍とがにらみあいを続けていた。町中ではUNTACの白い四輪駆動車が赤土を舞い上がらせながら疾走し、さまざまな国から派遣された兵士たちが軍服姿で闊歩する。ちょっと町から離れると遠くから地雷の破裂音や機関銃のうなる音が聞こえてきた。戦闘がいつ市街地におよぶともしれぬ緊張感がただよっていたが、この町に暮らす人々におだやかな笑顔がたえることはなく、ここでの生活には心休まるものがあった。濁った水しか出ないホテルだったが仕事の疲れをいやすには十分だった。ハエを追い払いながらの食事だったがじつにうまかった。夜には町を静寂と暗闇とが包み込む。漆黒の空に輝く星が美しかった.

 現在のシェムリアプは観光都市として発展し続けている。空港から市内へと向かう道路に沿って豪華なホテルが建ち並び、それでも足りないのか次々と新しい建設が進められている。ロビーにはシャンデリアが輝き、バーでは好みのカクテルまで作ってくれる。市内へ入るとシェムリアプ川に沿ってヨーロッパ風の洒落たカフェやレストランが並ぶ。ピザでもステーキでも何でも食べられる。日本語の看板を出している店も多い。悪臭がただよっていた市場も小ぎれいになり買物客や観光客でにぎわうようになった。近代的な病院も建設された。戦場だったころの面影はどこにもない。

 一九九七年のクーデターで国外からの観光客の足は遠のいた。だが、これが観光産業にとってはひとつの転機となったようだ。外国人の去ったこの町に国内からの観光客が訪れるようになった。そしてバンコクからの直行便が入るようになって町はいっきに息を吹き返した。バンコク便はいつもいっぱいの観光客を運んでいる。かなりの客はこの町に宿をとりアンコール遺跡の観光を楽しんでいく。ヴェトナムのホーチミンからの直行便も予定されているという。プノンペンで感じる重い空気はこの町にはない。この町はカンボジア観光産業の中心として発展し続けることだろう。

 人々の生活も安定し豊かになったようだ。これは喜ばしいことには違いない。しかしかつての心休まる田舎町の雰囲気は失われてしまった。町がだんだんと荒れてくるのを感じる。猥雑な歓楽街もできてきた。それ目当ての観光客もいるという。喧噪は深夜にまでおよぶ。朝になるとシェムリアプ川にはたくさんのゴミが浮かんでいる。カンボジアの命ともいうべきトンレサップ湖へゴミは流れ去っていく。

(金沢大学工学部土木建設工学科 塚脇真二)

 

写真1.八年前のシェムリアプ河畔。牛も人も一緒に水浴びをしていた。一九九二年八月撮影。

 

写真2.現在のシェムリアプ河畔。ホテルの屋外バー。今年一月撮影。