カンボジアの不思議な湖

 トンレサップ湖は不思議な湖である。カンポジアの中央にあっていつも赤茶けた泥水をたたえるこの湖は、まったくの淡水であるのにフグやエイは捕れるし、イルカまですんでいる。しかも、乾期にはかなりの部分が干上がってしまうこの湖は、雨期ともなると周囲の山々に降る雨に加えてヒマラヤの雪解け水も流れ込み、面積が三倍以上の一万平方`(琵琶湖の十五倍)に膨れ上がる。まさに天然の貯本池である。

 初めてカンポジアに行くことになつたとき、ぜひとも見たいと思ったのはこの湖だった。中学校の地理の教科書で、季節で大きさが変わる湖がカンボジアにあって、そこでは水位の上昇とともに水面へと茎が伸ぴる浮稲が栽培されていることを知り、いつか自分の目でこの不思議な湖を見たいものだと思っていた。その夢がかないプノンペンへと向かう飛行機から遠くに輝く水面が見えたときの感動は今も忘れられない。

 実際にこの湖をまのあたりにしたのは、その年の雨期のことだった。大地には水が満ちあふれ、水田には稲が青々と茂っていた。その中を一直線にのぴる泥だらけのでこぼこ道をジープで走り、約一時間で湖にほど近い村に到着した。この村には、遠くプノンペンから一昼夜以上もかけてやってくる定期船の港もある。ちょうど船が到着したばかりで、荷物の積み下ろしや人の乗り降りで港はごったがえしていた。

 村で小舟を借り、川を湖の方へと下っていった。水面にはベトナム系住民の水上住居がところせましと浮かび、その中からは子供たちの声に混じって豚や鶏など家畜の騒々しい鳴き声が聞こえる。食料や衣類を売る舟が住居の間をぬうように走っている。彼らにってこの川は生活の場のすべてのように見えた。水上住宅が並ぶ中を三十分ほど走ったところで、突然視界が聞けた。そして、舟は湖のへりにぽっかりと浮かんでいた。目の前には茫漠とした茶色い泥の海が広がっている。対岸はかすんでまった

く見えない。底の見えない泥水の中には怪物でも潜んでいそうで不気味だった。ローブで深さを計ってみると約三bで、しかも口ープには青々とした植物の葉がからみついてきた。乾期には陸上に茂っていたものが、水没してしまったのだろうか。そこで湖岸を振り返ってよく見ると、葦のの茂る湖岸だとぱかり思っていたところは、じっは水面から先端のみをのぞかぜた木々だった。乾期には大地からそぴえ立つ木々も、今は増水のためほとんどが水没してしまう。

 舟から降りて村の市場へ行ってみた。どの店先にも湖で捕れたばかりのさまざまな魚が山のように並ぴ、それを買い求めるたくさんの人々がいた。トンレサップ湖は田畑を潤し、人々に新鮮な魚を提供するばかりか、人々の生活の場であり交通のかなめでもある。この湖が、昔から今にいたるまで、カンポジアの人々の生活と文化と室文え、歴史を創り続けていることを実感した。

 

塚脇真二(つかわきしんじ)