カンボジアの将来

 先月末、わたしはまたカンポジアにやつてきた。そしていま首都プノンペンのホテルで帰国を前にこの原稿を書いている。

 ブノンペンの街は相変わらずの喧騒に包まれ、日本をたつ前に知らされ気がかりとなっていた「三年前に逆戻りしたような政治的、社会混乱」は幸い街の中に見ることはなかった。でも聞くところによると、強盗事件など以前にはなかった悪質な犯罪が着実に増えつつあるという。今回街角で見たのは、路上に拾てちれた炊きたてのご飯とむし歯のある子供たち。いずれも食料事情が良くなったことを意味するには違いない。しかし犯罪の増加や人々が食料を粗末にし始めたこと、また子供たちのむし歯など、プノンペンの変化は人々の暮らしがけっしていい方向に両かっているとは思えないものぱかりだ。

 今回プノンペンに滞在したのは二日間だけで、あとはアンコール遺跡のあるシェムリアッブ市周辺で過ごした。再ぴ訪れたバイヨン大聖堂では、観世音菩薩があの優しい微笑で私を迎えてくれた。しかし、雨風にさらされ続けた大聖堂は、たった二年の間にもあちこち傷みが進み、その微笑も心なしか量って見えた。次に訪れたトシレサップ湖では、住民のひとりが生まれて初めて見るほどの大きな

魚を捕ったと自慢していた。この湖にはまだまだ未知の生物が潜んでいるらしい。しかし、茶色い泥水を満々とたたえた湖は、容易にその秘密をあかしてくれそうにはない。

 このようにプノンペンの変化はけっして好ましいものとはいえなかつたし、二年ぶりに訪れた遺跡は損傷が進み、湖のなぞはさらに深まっていくようにみえる。しかし、どこへ行っても変わっていなかったのはカンボジア人のおおらかさや人なつっこい笑顔だ。

 カンボジアは豊かな国である。この国の人々にとって飢えは無緑なものかもしれない。一年中気候は温暖で、水に恵まれた大地には農作物がすくすくと育ち、木々にはさまざまな果物がたわわに実る。トンレサッブ湖は人々に豊富な魚を提供する。人々の生活を破壌する自然災害もない。毎年の洪水もむしろ大地を潤し、これを肥やす。だからこの国に住む人々の平和で人間的な生活を脅かすものは、戦争、そして資源問発などの美名を借りた人為的な自然破壌だけだろう。

 その戦争にはひとまず終止符が打たれた。このさき自然破壌にどう対処するかはカンボジア人自ちが解決する問題である。しかし私は、いつまでも豊かな自然に恵まれた今まで通りのカンポジアであってほしいと願う。

 シェムリアップをたつ前の夜のことだ。見上げた夜空には数限りない星がきらめき、その中を天の川が雄大に流れていた。暗い大地には、人々がともすほんのわずかな明かりだけがゆらめいていた。カンポジアの美しい星空と人々の生活する大地を眺めながら、わたしは今後もこの国の将来を見ていきたいものと思った。

 

塚脇真二(つかわきしんじ)