トンレサップEMSB-U32 2005年2〜3月調査渡航(抜粋)
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2005年2月23日〜3月19日
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2005年2月23日(水):バンコク→プノンペン バンコクのドンムアン空港に集合.強風で飛行機の到着が遅れた大八木も機内にぎりぎりで駆け込んでくる.そして全員そろってプノンペンへ.もやのため地表のようすはまったく見えない. |
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着陸寸前にトンレサップ川がぼんやりと見えただけ.満月はよく見えていた. | ||
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ダイヤモンドホテルにチェックイン後,調査予定について簡単なミーティング.そしてニューパリで軽い夕食. | ||
2005年2月24日(木):プノンペン 終日,それぞれ調査の準備に費やす.石川と大八木は国立教育研究所(NIE)で薬品の調製.荒木は文献調査など. |
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午後は資源局で調査の打合せと調査準備.午後遅くに徳島大学の竹林さんと立命館大のLoc君がプノンペンに到着.夕食はホテルオーナーの招待でチュロイチャンバーのボン・メアスレストランで. | ||
2005年2月25日(金):プノンペン→コンポンチュナン 資源局のサンバースとテアラ,そして河川局のモニチョットが合流し,午前中にサムナン親方のワゴン車でコンポンチュナンへ移動.メコンで昼食,ホテルへ仮チェックイン.そしてすぐにトンレサップ川へ.水位は1月よりもさらに下がっている. |
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急傾斜の河岸があちこちで剥き出しになっている.トンレサップ川本流で採泥と水質観測を実施. | ||
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荒木はときおり上陸して植生の観察. | ||
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夕食はプノンメアス.白身魚のマヨネーズ和えがうまい.パンナはあいかわらず絶好調. | ||
2005年2月26日(土):コンポンチュナン 早朝,コンポンチュナンから船着場のあるチュノックトゥルーへ.学校前に水はまったくない.船着場は学校からさらに1キロほど沖合に移動していた. |
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さっそく船を借り上げて湖へ向かう.低水位のため網目状水路になった三角州地帯をまず観測タワーへ. | ||
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ほとんど離水していた測器の位置を変える.そしてここで3組に分かれてそれぞれの作業に入った.荒木はサンバース,そして副支局長のソクホンと湖畔の植生調査,石川,大八木はモニチョットとともに湖南部の横断観測. | ||
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竹林さん,Loc君とトンレサップ川の採泥に向かう.堆積物はほとんどが泥だった.巻貝の生貝がたまに見つかる.低水位のため舟が一時座礁するも無事に村へ戻ってきた. | ||
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観測後は船主の水上住宅で一休み.石川・大八木グループがじきに戻ってくる.チーム荒木は待ち合わせに気づかず船着場へまっしぐら・・・. | ||
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学校前から住民たちの移動式住宅が一掃されていた.そのかわりに山のようなゴミが残されていた. | ||
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夕食は今日もプノンメアスで.近くの山肌を炎がはい上るのが見える.山火事らしい. | ||
2005年2月27日(日):コンポンチュナン 朝食後,サンバース,竹林さんらとトンレサップ川の採泥観測.早朝の川面は静かだった.U32の3名はモニチョットとともに湖南部へ出かけた. |
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カワヒバリガイがびっしりとくっついた礫が採れる.木片も多い. | ||
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まれに砂も採取された. | ||
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トンレサップ川の川幅がぐっと広くなり住宅が密集し始めたところで観測終了.コンポンチュナンへ引き返した. | ||
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ホテルには向井が到着していた.これでU32は全員集合.夕食は今日もプノンメアスで.主役の座が荒木から竹林さんへ移動したようだ. | ||
2005年2月28日(月):コンポンチュナン→プノンペン 荒木,向井とチュノックトゥルーの船着場へ向かった.竹林さんらはサンバースとともにトンレサップ川下流域の採泥に出発.大八木,石川はホテルで試料の分析. |
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三角州地帯内でまず調査.向井は魚の採集,荒木は植生の調査. | ||
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続いてセン川河口の村へ移動. | ||
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ここでもふたりはほぼおなじ調査を行う.調査終了後にチュノックトゥルーへ引き返し,ここで支払いを済ませて船着場をあとにした. | ||
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チュノックトゥルーからコンポンチュナンへ.メコンで昼食ののち,親方のワゴン車でプノンペンへ戻る. | ||
2005年3月1日(火):プノンペン トンレサップ川の採泥に竹林さんらとでかける.王宮近くの船着場から日本橋をくぐってまず上流へ.U32の4名は試料の分析や処理などでホテルに居残り. |
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弱固結の泥が採れた.ベントスの巣穴が散見される.表層水の水質も測っておく. | ||
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下流へ向かって観測を続ける.トンレサップ川の水はかなり濁っている. | ||
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王宮前をとおって合流地点にある砂州へ.この砂州に初めて上陸した.均質な細粒砂がここには堆積していた. | ||
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続いてメコン河へ船を進める.トンレサップ川の茶色い水とメコン河の青い水とが直線的な境界で接しているのがよく見える. | ||
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メコン河の堆積物はほとんどが砂だった.メコン河の水は青く澄んでいる. | ||
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河岸の堆積物には細粒砂と泥との細互層が記録されていた. | ||
2005年3月2日(水):プノンペン 今日も竹林さんらとメコン河・バサック河の採泥調査.国立教育研究所地球科学の教官たちが調査の見学にやってくる.船着場を発ち両水塊の境界を横切ってメコン河へ.U32はメコン河・トンレサップ川の合流地点で横断観測. |
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メコン河の下流側になると水塊の境界がやや不明瞭になる.ここでは礫まじりの砂が採取された. | ||
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右岸には幾重もの砂州が形成されていた.砂州上には黒雲母の密集層がみつかる.右岸に沿ってはトンレサップ川の泥水が流下していた. | ||
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続いてバサック河へ.トンレサップ川の泥水がこの河には流入している.そのためか堆積物は茶色い泥だ. | ||
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カンボジアーナホテル前をとおって船着場へ引き返す.堤防のあちこちが壊れているのが気にかかる. | ||
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夕方,河川局で調査の打合せ.そして夕食は天天で. | ||
2005年3月3日(木):プノンペン→コンポントム U32の4名,そして資源局のサンバースと親方のワゴン車でコンポントムへ.竹林さんとLoc君はこの日で帰国.コンポントムまでの国道はきれいに舗装されている.途中の町で昼食をすませ,午後2時にコンポントムに到着. |
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資源局支所への挨拶とホテルへのチェックインをすませてすぐにセン川を見にいった. | ||
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コンポントム市街よりも上流側となるセン川河床には見事な砂州が形成されていた. | ||
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一方の下流側はとても浅いようだ.子供たちが川面を走り回っている.砂州が潜在するのかもしれない. | ||
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調査中,地元の子どもたちがおおぜい集まってきた. | ||
ホテルでの夕食後に今後の調査予定についてのミーティング. | ||
2005年3月4日(金):コンポントム→シェムリアプ 朝食前に地元の市場へ.目新しい魚はいないようだ. |
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堤防には小魚が山と積まれている.飼料になるのかそれともプラホックの材料となるのかはわからない. | ||
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朝食後に市内を流れるセン川へ.ここで大八木と石川が横断観測を実施する. | ||
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向井と荒木は付近の湿原でそれぞれの調査を行う.サムナン親方がふたりを見守っていてくれた. | ||
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プノンペンへ戻るサンバースと分かれ,ワゴン車で一路シェムリアプへ.コンポンチュナンの鍋売りを移動の途中で見かけた. | ||
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移動の途中でみかけた水路で一時停車. | ||
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4名それぞれに調査を実施. | ||
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途中の町での昼食後にコンポントムとシェムリアプとの州境を通過. | ||
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コンポンクディの石橋付近でも一時下車して調査. | ||
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ロリュオス付近で国道を離れてトンレサップ湖畔方面へ行ってみた. | ||
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ロリュオス川に水はほとんどなかった.悪路のため湖畔へも到達できずあきらめて国道へ引き返す. | ||
シェムリアプ到着後はまずアンコール遺跡整備機構へ.調査の打合せ終了後すぐにホテルへチェックイン.夕方,日本から陰地と坂井がシェムリアプに到着した.彼らを交えて木房で夕食. | ||
2005年3月5日(土):シェムリアプ ポーキーがこの日から合流.全員で朝から湖へでかける.船着場はかなり沖へ移動していた.湖へ通じる水路は狭くて浅い.そこにたくさんの遊覧船がひしめき合っていた. |
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まっすぐに観測タワーへ向かう.水上レストラン群がタワー周辺に移動していた. | ||
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測器の確認作業に大八木がとりかかる.そのようすをタライボーイズが見守る. | ||
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測器をとりあえず水中に戻し,危険の看板をさげて作業終了.タワー近くには水上教会も移動してきていた. | ||
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続いて荒木の植生観察のため湖畔へ移動.チームのほぼ全員がそれぞれの道具をたずさえて一時上陸. | ||
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向井は船の近くで魚の採集.ヒゲがやたらと長い魚が捕れていた.しばらくして上陸した全員が船に戻ってきた. | ||
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船のまわりには網がやたらと入っていた.注意をうながしていた大八木が自らその網にかかる. | ||
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船着場へ引き返す途中で漁の船に立ち寄った.網には小魚がたくさんかかっていた. | ||
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そして船着場へ引き返す.低い水位のため遊覧船が泥しぶきをあげながら走る. | ||
モノロムで遅い昼食ののち,午後はアンコール遺跡整備機構で打合せ,そしてタージマハールでカレーの夕食. | ||
2005年3月6日(日):シェムリアプ 観光客を避けるため早朝から全員で湖へ.そして石川,大八木とともに湖北部の横断観測へ出発した.坂井がこの船のアシストにつく.向井と荒木はポーキーと陰地の援護のもと湖畔の湿地帯へ別の舟で向かった. |
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観測タワーでの観測ののち最南端の測点へ向かう.湖水の泡立ちがいつもよりも目立つように感じる. | ||
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最南端測点での観測はたくさんの漁具のため中止.2番目の測点から観測作業に入った. | ||
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静止している舟の回りの湖水にも泡が目立つ. | ||
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ちょうど中央あたりの湖の表面にはアオコが縞模様を作っていた.プランクトンネットをこした湖水は緑色に変化する.石川のあごが二重になってきたのにふと気づく. | ||
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そして最北端の観測点へ.ここで観測を終了し湖畔に沿ってチュノックトゥルーへ向かった.全員が爆睡. | ||
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船着場に到着.午後4時を回っていた. |
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夕方遅くに日本から到着した長田さん,塚野さんの両名を加えてこの日はカンプチーノでパスタの夕食. | ||
2005年3月7日(月):シェムリアプ 午前中はアンコール遺跡整備機構で調査の打合せ.午後から長田さんらを合わせた全員で湖へでかけた.観測タワーの測器の調整のため,大八木,石川,坂井の3人をタワーに残して湖畔の森へ向かう.タワーにしがみついた3人の姿がみるみる遠ざかっていく. |
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湖畔の森に到着.荒木,ポーキーとともに森へ入る.塚野さんがカメラをたずさえてついてくる. | ||
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舟へひきかえすと向井と陰地がちょうど網を打っているところだった.荒木たちもじきに引き返してくる. | ||
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そして観測タワーに取り残された3名を舟に収容.石川のテンションがなぜか妙に高かった. | ||
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水上レストランで一休みののち船着場へ引き返した. | ||
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夕食は調査の中休みをかねてバイヨン2でクメール舞踊をながめながら.荒木が所定のポジションをとる.そして踊り子さんたちと記念写真. | ||
2005年3月8日(火):シェムリアプ 石川,大八木とともに湖の4分の1縦断観測へ向かった.向井,荒木,坂井はポーキーとともに内陸のクバルスピエンへ.長田さんらはこの日の朝にバンコクへ移動.観測タワーで石川の分析用試料をまず採集する. |
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その試料を水上レストランに設置してから湖へ. | ||
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途中で大規模な漁をみかける. | ||
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横断測線ほぼ中央の測点から観測開始.観測作業は順調に進んだが,北西の数測点での観測は巨大な網のために中止せざるをえなかった. | ||
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網は迷路のようにはりめぐらされている. | ||
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水上レストランに立ち寄って石川が試料に薬剤を注入し回収する.女性の下着に囲まれながらの作業がいかにも彼らしい. | ||
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作業を尻目にビールで一服. | ||
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この日の夕食は木房. | ||
2005年3月9日(水):シェムリアプ 朝から湖へでかける.まずプノンクロムに登ってはみたが,もやの多い大気のため湖のようすはよく見えなかった.赤外線にしてもほとんど見えない. |
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そして舟で観測タワーへ.水上集落内の水面にアオコガやたらと目立つ. | ||
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観測タワーで大八木が測器の再設置作業. | ||
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タワーのまわりをたくさんの遊覧船が走り回る.近くの水上レストラン展望台にもたくさんの観光客の姿がみえる.30分ほどで作業終了. | ||
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午後に資源局のテアラがチームに再合流.アンコール遺跡整備機構で資料持ち出し許可を受け取って午後遅くにシェムリアプ空港へ.この日で帰国する向井の無事の出国を見送って市内へ引き返す. | ||
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夕食はタイスキを試してみた. | ||
2005年3月10日(木):シェムリアプ→シソフォン→バッタンバン シェムリアプからバッタンバンへ親方のワゴン車で全員で移動.車内は狭いが士気は高い.国道6号線も空港をすぎてしばらくはいい道だった. |
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しかしじきに未舗装の悪路に変わる.粗末な橋もホコリだらけ. | ||
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道路のでこぼこはさらにひどくなる. | ||
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いい道路になったと思ったところでシソフォンに到着.町のシンボルとなる女神像を横目に見ながら市内へ入る. | ||
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まずシソフォン川で観測作業. | ||
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そして郊外のレストランで山のような昼食をとる.レストランの裏手にはなぜか山のような空き缶があった.いわゆるコンポン・チュランだ. | ||
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バッタンバンへと向かう途中のモンクルボレイ川で一時停車.川には古めかしい鉄橋がかかっていた. | ||
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その鉄橋上をなぜか荒木が走る.この鉄橋周辺でも調査を実施. | ||
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バッタンバンへとさらに南下.ディスコミュージックが車内に響きわたる.チームの士気が妙にあがる. | ||
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途中のオーニョウ川でもそれぞれに観測. | ||
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午後遅くバッタンバン市内へ入った.まず資源局の支所で挨拶をすませる. | ||
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そしてサンケス川で調査を実施. | ||
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調査終了後,テオホテルにチェックイン.夕食は市内のコールドナイトレストランで山のようなパスタ・・・. | ||
2004年3月11日(金):バッタンバン→コンポンチュナン→プノンペン ホテルを発ってまずバッタンバンの市場へ.ポーキーの案内でバッタンバンの特産品などを見物する. |
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そして国道5号線をコンポンチュナンへ.いい道が続く. | ||
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途中のモンリセイ川の水は干上がっていた.河床には伏流水を取るための穴がいくつもあけられている. | ||
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いい道をさらに南下する. | ||
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スヴァイダンケウ川で一時停車して調査を実施.離水した河床にはサンクラックが広がっていた. | ||
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ここで坂井がブタとの対決を試みるも睨みあいだけであっけなく敗北. | ||
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国道6号線をさらに南下してボーサットへ.ボーサット川には満々と水があった. | ||
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川水はゆるやかに下流へ流れていた.中州は砂でできているようだ. | ||
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川にかかる鉄橋から河川中央の水を大八木が採集する.線路上を原付のエンジンをつけただけの簡易列車が走っていた. | ||
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国道をさらに南下しバリボーを過ぎてコンポンチュナンへ.懐かしい形の山が見えてくる. | ||
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陶器の土産屋にちょっと立ち寄る. | ||
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メコンでの昼食後にサムナン親方の自宅へ立ち寄る.2階建てのいい家だ.ここで坂井が彼のお嬢さんと感激の初対面. | ||
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U32+U32’の木登り大会がここで始まった.荒木がうまい.ヤシに抱きついた姿はさまになっている.しかし大八木はヤシから滑落して負傷. | ||
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コンポンチュナンを発ってプノンペンへ戻った. | ||
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ニューパリレストランで軽めの夕食. | ||
2005年3月12日(土):プノンペン 午前中は国立教育研究所で地球科学教官たちのセミナーを見学. |
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そして資源局地質部門でカンボジア北西部に落ちたばかりの隕石を見学する.それからノートパソコンのセットアップに入ったがこれには手間取った.結局,コンピューター会社に勤めるポーキーの弟の助力でこの問題は解決. | ||
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北京での遅い昼食後はオフ.市内にできたばかりのデパートを見物.品揃えがさびしいうえに高価.そのため客の姿はほとんどない. | ||
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一足さきに帰国する石川を空港まで見送り,市内へ引き返して青葉で夕食. | ||
2005年3月13日(日):プノンペン 帰国を控えたこの日は終日オフ.全員が試料の整理やパッキング,そして買い物などで過ごす.夕方に空港へ.ポーキーがここからシェムリアプへ引き返す.そして金沢からやってきた古内さん,坂野君と入れ替わりに全員が出国していった. |
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古内さんらとともにプノンペンのホテルへ戻る.チェックイン後すぐに彼らはホテルの屋上でエアサンプラーの設置作業. | ||
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見学に訪れたNIE地球科学教官たちからふたりは山のような質問を浴びせられていた. | ||
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そして地球科学教官たちのセミナー打ち上げ会もかねて青葉で遅い夕食. | ||
2005年3月14日(月):プノンペン 朝食後,屋上のサンプラーを見にいく.フィルターは一晩で真っ黒になっていた. |
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フィルターの交換を地球科学教官たちが朝から見学にやってくる. | ||
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そして午前中のうちに国立教育研究所で柱状試料の観察実習を行った.実習材料には2001年にトンレサップ湖北部で採集したコアを用いた. | ||
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昼食後に古内さんらとともにメコン河へ.遊覧船を借りて合流点のようすを見にいく. | ||
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3月初旬にはメコン河へと大きくはりだしていたトンレサップ川の泥水が劣勢になっていた.両水塊の境界も不明瞭だ. | ||
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メコン河の青い水はバサック河の入口付近にまで達していた. | ||
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夕食後に屋上へ上がってエアサンプラーをながめる.フィルターは今朝ほどではなかったが茶色くなっていた. | ||
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古内さんらがサンプラーを撤収.これでカンボジア発のエアサンプリングが無事終了. | ||
2005年3月15日(火):プノンペン→ニャックロエウン→プノンペン タイへ移動する古内さんらを空港へ見送り,産総研の斎藤さんがボーリングを実施しているカンボジア南部のニャックロエウンへそのまま車で向かった.国道1号線の交通量は多い.屋根にたくさんの乗客をのせたワゴン車が走り去っていく.それに比べて道幅はあまりにも狭い. |
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ニャックロエウンのメコン河右岸にあるフェリー乗り場に到着.切符を買って順番を待つ.車や乗船客がみるみるうちに増えてくる. | ||
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車で先にフェリーにのって振り返るとおおぜいの人やバイクが乗り込んでくるところだった.フェリーはすぐに人と車でいっぱいになる.3年前に比べて交通量は圧倒的に増えている. | ||
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メコン河左岸に到着.車がまず次々と下船していく. | ||
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船着場から粗末な道をメコン河左岸に沿って移動する.途中でサムナン親方が出迎え先導してくれるものの,彼の車は砂埃ですぐに見えなくなった. | ||
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船着場から小1時間ほどもかかって斎藤さんのボーリング地点にようやく到着した. | ||
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昼食は砂埃のないメコン河河畔で.ウシに混じって親方も水浴びを楽しんでいた. | ||
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食後,ボーリング地点に引き返す. | ||
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作業は順調に進んでいた. | ||
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夕方まで作業は続いた.天然ガスが吹き出したところでこの日の作業は終了. | ||
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急用ができたソタムとともに車でプノンペンへ引き返した.午後7時.フェリー乗り場には人も車も少ない.そのため乗船まで1時間以上も待たされた. | ||
2005年3月16日(水):プノンペン まずホテルの屋上でエアサンプリング地点の緯度経度を確認しておく. |
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そして国立教育研究所にて顕微鏡を借用し,今回のいくつかの試料について鏡下観察を行った. | ||
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午後はオフ.試料の整理や明日の出国に備えて荷物のパッキングなど. | ||
2005年3月17日(木):プノンペン→バンコク ダイヤモンドホテルからタクシーで空港へ.国道沿いに新しいガソリンスタンドが増えてきたのを感じる. |
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離陸直後の飛行機からは地表を眺める.しかしすぐにもやでほとんど何も見えなくなった. | ||
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赤外線に換えてもあまり条件はよくならない.飛行機はトンレサップ川からかなり離れたルートを飛んでいるようだ. | ||
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カンボジアとタイとの国境上空を通過.区画化された田畑が地表に見えるようになる. | ||
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そしてバンコクのドンムアン国際空港に到着. | ||
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午後から夜まで資料の整理などですごす. | ||
2005年3月18日(金):バンコク 午前中はCCOP事務局で打合せ.午後はチュラロンコン大学,そしてマヒドゥ大学でそれぞれ研究打合せなど. |
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2005年3月19日(土):バンコク→関西空港→金沢 タイ上空はもやが濃かった.すぐに赤外線に換えて地表を眺める.ムン川の蛇行がよく見えてきた. |
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離陸後約1時間でメコン河の上空を通過. | ||
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そしてヴェトナム上空へ.海岸付近は雲のため見えない. | ||
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約3時間後に台湾上空を通過. | ||
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そして薩摩半島上空へさしかかった.桜島や鹿児島市北方の急崖地形がよく見える. | ||
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錦江湾から霧島火山群を左に見ながら豊後水道上空へ. | ||
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四国の南海岸をずっと眺める. | ||
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そして吉野川河口付近をとおって関西空港へ. | ||
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関西空港着陸後,JRに乗り換えて金沢へ戻った. | ||
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