北陸地方の地学研究に関する現状と課題

 北陸地方には,貝化石の多産で著名な更新統大桑層や恐竜化石の発見があいつぐ手取層群などわが国を代表する地層群が分布し,これらを舞台に古くより数多くの研究報告がなされている.また,北陸地方を含む日本海側の諸地域は,典型的な背弧海盆である日本海のテクトニクスや日本海形成後の地質構造発達史を解明するうえで注目されるところでもある.しかし,世界的に注目されるべき地域でありながら早急に解決すべき問題点が多々ある.

 近年における地学研究諸分野の発達は,あらゆる調査研究の基礎となる高精度地質図の整備なしには考えられない(ここでいう高精度地質図とは,5000分の1あるいは1万分の1の精度で作成されたもの,または同精度で作成された原図にもとづき編集されたものをさす).たとえばわが国における新第三系の模式的分布地である房総半島では,今世紀初頭以来数百にもおよぶ調査研究の総括として各種の高精度地質図が公表され,同半島で行われた微化石層位学・古地磁気層位学・堆積学・構造地質学など世界的な研究の基礎資料となり,さらにはわが国における新第三紀テクトニクス論展開の基礎ともなっている.

 しかし,房総半島のような特別な地域を除いては,高精度の地質図なしに応用的・発展的な地学研究がなされる例は数多く石川県もその例外ではない.県下の中〜下部中新統については杉本幹博による岩相層位学的研究が精力的に進められているものの,県下全域を考えた場合地質調査所発行の5万分の1図幅では,今井(1959)の金沢図幅に始まった調査報告も角(1978)の津幡図幅の完成をもって途絶え,また5万分の1の地質図を備えた土地分類基本調査も,もっとも新しいものでは竃・山田(1992)があるにせよ県下全域にわたって整備されてはいない.さらに近年,県下の地質を総括したものとして石川県地質誌(竃,1993)が刊行されたが前述の精度を満たしているとはいえない.

 この問題を解決するためには,高精度地質調査を行いうる能力をもった研究者人口の県内外での増加,ならびに県下における調査の広域的展開しか手段はない.しかし,このような研究者人口の急増は一朝一夕には実現不可能である.そこで,現実的対応としてまず考えられるのは,県の内外を問わず,高等学校・大学などの研究教育機関や官公庁,ならびに民間調査機関などに所属する研究者による地質調査の広域的展開であり,これと並行して研究教育機関では新しい研究者の育成にあたることが長期的なこの問題解決の唯一の手段であろう.

 高精度の地質調査および地質図の完成が必要とされる一例として,金沢市を中心とし北陸一円に分布する大桑層があげられる.同層は日本海側に分布する代表的更新統のひとつであり,化石を多産することからこれまでに古生物学的また堆積学的に数多くの調査研究がなされている.しかし,同層については代表的分布地域ごとの岩相層序はある程度確立されているにせよ,地理的に離れた分布地間の対比はいまだ完成をみない.さらに,もっとも綿密に調査されるべき模式地においては,精密な地質図がないのはおろか,同層を構成する堆積物の詳細や上下の地層との層位学的関係,さらに地質構造の解明など,基本的な調査さえもおざなりにされているのが現状である.これでは,いくら模式地を舞台に発展的研究を展開しても,その研究土台はきわめて脆弱であると言わざるをえない.

 高精度地質図の整備と同時に進めるべきものとして古環境解析があげられる.古環境解析とは過去のさまざまな時代における環境(地理・生物相など)の復元である.その実際的な方法としては一般に海成堆積岩類を対象に,堆積相解析などから過去の堆積場を復元する堆積学的方法や,堆積岩に含まれる化石(とくに微化石)の群集変化などにもとづく古生物学的方法,そして堆積岩に含まれる重鉱物などから後背地の特定や変化を推定する堆積岩岩石学的方法などがあり,これらを並行することでより大きな効果を挙げることができる.

 とくに,1980年代初期に確立された堆積相解析法は,海成堆積岩類のみならず非海成堆積岩類からの古環境復元へも適用され,この成功によって地球表層部に存在する堆積環境は検討されつくしたといえる.さらに,これらの古環境解析の諸方法に,微化石層位学や火山灰層位学,そして放射線年代学・古地磁気層位学などの手法を合わせ行うことで,古環境の空間的分布かつ時間的変遷の精密な復元が可能となる.このような古環境解析による環境の時空的変化の研究は,わが国では房総半島の鮮新〜更新統上総層群や静岡県掛川地域の新第三系〜第四系相良・掛川層群など,とくに太平洋側に分布する海成堆積岩類を中心に展開されている.しかし,石川県を含む北陸地方では,このような研究はいまだ十分になされてはいるとはいえない.

 県下でこのような研究が立ち後れている原因として,第一に先に述べた高精度地質図の未整備があげられる.詳細な岩相対比や地質構造の解明なしには,古環境解析の広域的展開は望みようがない.さらに新第三系を例にとると,地質構造が比較的単純でかつほぼ全域が海成堆積岩類のみから構成される房総半島や掛川地域とは異なり,県下の新第三系は地質構造が複雑であり,堆積岩にも海成や非海成のものが共存するのみならず,各種火山砕屑岩類の挟在や火山岩の貫入もみられるなど地質体自体も変化に富む.しかし,将来の県下における地学研究の発展や,わが国の日本海側における石川の地質の重要性を考えた場合,高精度地質図を整備しながらの古環境解析の展開は急務といえよう.

 この問題の解決方法としては,前述の高精度地質図の整備で述べたこととほぼ同じことがいえる.広域的な岩相対比や地質構造の解明なしに古環境の解析は不可能である.さらに,これまで古環境解析の主な対象であった砕屑性堆積岩類以外の岩石(火山砕屑岩類など)についても,その堆積場復元の手法は著しい進展を見せており,これらの手法を積極的に取り入れることで,県下に分布する地質の古環境解明は推進できるものと考えられる.

 これまでに述べてきた問題点は,石川県下のみならず北陸地方における地学研究の今後の発展のためにはいずれも早急に解決すべきことばかりである.とくに信頼できる地質図なしに県下各地で発展的研究がなされている現状を考えると,第1に述べた高精度地質図の整備は急務とすべきものであり,この解決なしにはあとの2つの問題点は解決しようのないことともいえる.そこで,先に述べたように学校・大学などの諸研究教育機関や官公庁,ならびに民間調査機関などに所属する研究者・有志による地質調査の広域的展開とその成果の積極的な公表,ならびに教育機関における若手研究者の育成が,この問題解決の唯一の手段であり,県下の地学研究の今後の発展のためには不可欠であると考える.