トンレサップ湖調査2000−02

2000年8月26日〜9月12日

(1:8月26〜28日)


8月26日(土):金沢→関西空港

 午前中に研究室で調査準備を整えたあといったん帰宅.自宅で旅券などをそろえているときになって予算案に大きな計算間違いを発見した.これにかなり動揺しながらもバスで金沢駅へ向かう.午後5時58分発のサンダーバードでJR金沢駅を出発.夕食はコンビニ弁当.新大阪にて関空特急はるかに乗り換え,さらにJR日根野駅で普通列車に乗り換えてりんくうタウン駅で下車.そこから徒歩で関西エアポートワシントンホテルへ.今年4月にオープンしたこのホテルはロビーも客室も広い.駅からも近いしなかなか居心地のいいホテルだ.2階に24時間営業のコンビニがあるのも便利.精密機器類をスーツケースから手荷物に移し替えておく.


8月27日(日):関西空港→バンコク→プノンペン

 午前7時に起床し昨夜のうちにコンビニで買ったサンドイッチと缶コーヒーとで軽い朝食を済ませる.午前9時にホテルの送迎サービス車にて関西空港へ.10分ほどで空港に到着.すぐに日本航空の搭乗カウンターへ向かった.8月も下旬だというのにカウンターには旅客の長い列ができていた.30分ほど待ってようやくチェックイン.スーツケースはプノンペンまであずける.それから空港内郵便局で現金をおろし,それをそのまま空港2階の三菱銀行でドルに換金する.予算の計算違いを補うために私費をよけいに持参することにした.私費と公費とを合わせるとかなり分厚い札束になる.それをカメラバッグの底にしまいこんで銀行をあとにする.そして,やはり長い行列ができていた北ウイングで出国手続きをすませ出国ロビーへ入った.

 午前11時ころに機内へ案内される.搭乗機JL623/TG623便は予想どおりに満席だった.正午近くになってようやく離陸.窓際の席がとれなかったため機内サービスのビールやワインを飲み持参した「宇宙の不思議がわかる本」を読みながら時間をすごす.途中で機内食を食べさらにワイン.ほどよく酔ったところで午後3時(日本時間午後5時)すぎにバンコクのドンムアン国際空港に到着した.

 すぐにプノンペン行きのバンコク航空PG922便にチェックインする.空港内タイレストランのコーヒーで酔いをさまし午後5時には出国ロビーへ.観光客らしい姿はあまりない.午後5時半に機内へ案内される.バンコク航空の使用機は今や懐かしいプロペラ機のATRだ.席についてしばらくするとターボプロップのプロペラが回り始め,飛行機は大きく揺れながらも軽々と離陸していった.すぐ横に右翼エンジンがあるためその音がとてもうるさい.高翼式なので窓からの眺めはいいが,日没後だったため地上に見えるものといったらわずかな灯火のみ.機内食を食べカンボジア出入国書類を書いているうちにプノンペンのポチェトン国際空港に到着した.

 空港で入国手続きを終え手荷物のスーツケースを受け取って外へでた.外はもうすっかり日が落ちている.日本も夏のせいかカンボジアだといっても格別の暑さは感じない.ダイヤモンドホテルの送迎サービスタクシーでプノンペン市内へ.つい2か月前に訪れたばかりだが,8年前の記憶がなまなましいせいか市内の変わりように毎回のことながら驚かされる.ほんの数年前にはなかったような近代的なガソリンスタンドが建ち並んでいるし,そこでは小ぎれいな制服を着たスタッフが立ち働いている.メーターのついたタクシーも走り回っている.

 空港を出て30分ほどでダイヤモンドホテルに到着した.さっそくチェックイン.すっかりなじみになったフロントが満面の笑顔で迎えてくれる.同じくなじみのボーイが404号室へ重いスーツケースを運び込んでくれる.このホテルのいつもながらの歓待には心和むものがある.部屋で荷物を開き中身がそろっていることを確認してロビーへ降りてみたら,ちょうどカンボジア地質調査所のシエン・ソタムがやってきたところだった.

 ソタムはカンボジアでもっとも信頼できる友人のひとりだ.96年のトンレサップ湖調査からのつきあいだし,今年11月の調査での共同研究者でもある.ロビーで11月調査の打ち合わせを1時間ほどしたあとで街に出た.機内食が軽かったため中途半端に空腹だ.近くの中華料理屋で水餃子とビールの夜食をとってホテルに戻る.そして,明日の省庁などの訪問予定をおおまかに決め午後11時半に就寝.


8月28日(月):プノンペン→シェムリアプ

 朝食にとレストランへ降りてみたら奈良女子大学の上野邦一さんとばったり出会った.6年ぶりになる.10名ほどの学生たちとともにシェムリアプから昨夜戻ったばかりだということ.いっしょに朝食をとりながら現地の情報をいろいろと教えてもらった.今年はどこでも水量がやけに多いらしい.バンテアイスレイ近くのシェムリアプ川にかかる橋が水没していたとの情報には困った.こちらの調査の支障にならなければいいのだが・・・.

 食事のあとタクシーでメコン河委員会事務所へ向かった.約束の午前8時半ちょうどに到着.国外出張直前のチャイユース氏と面会し,この調査の目的などを簡単に説明しておく.彼もトンレサップにはひとかたならぬ興味があるようすだ.15分ほどの訪問で同事務所を辞し,増水したトンレサップ川が見たくてまっすぐに王宮前の河畔へ行った.

 雨季の水はトンレサップ川に満ちていた.ここ8年というもの毎年訪れている王宮前の河畔だが,これほどまでに水量が多いのは初めてだ.堤防の上限まであと数メートルほどしかない.対岸の中州もかなりの部分が水没している.このまま増水が進めばいずれ水が堤防を越えてしまいそうだ.調査への不安がさらにつのってきた.トンレサップはいったいどうなっているのだろう・・・.

 

 

 トンレサップ川を眺めたあとでプノンペン芸術大学に立ち寄った.92年から94年まで,そして96年に特別講師を務めたところだ.その当時とくらべて大学はずいぶん小ぎれいになったし,さまざまな設備も増えてきている.学生たちにもいろいろな変化がみえる.真新しいオートバイが駐車場にならんでいる.地質学担当のクム・ソリッス氏や建築学のホー・ラット氏と面会した.そして,われわれの調査で水産チームの研究協力者兼通訳となるエク・ブンタ君に調査日程のおおまかなところを伝えておいた.

 昼食後にインターナショナル理容室で髪を短く整える.そして中央市場で地形図やサンダル,帽子などの必需品をそろえてホテルへ戻った.この日の夕刻には調査本隊の5名がプノンペンに到着する予定になっている.プノンペンでの車輌の準備状況や近辺のレストラン案内などの情報を手紙にしたため,それをホテルのフロントにあずけてチェックアウトした.

 あまり時間がなかったが古い友人のイン・ソッカさんに会えないものかと郊外に移転した文化省をたずねてみた.真新しいビルの玄関両脇には獅子が陣取っている.クリーム色の壁が美しい建物だ.しばらくその建物を眺めながら待ってみたが,あいにくの昼休み時間とあって彼とは会えないまま次の訪問先の環境省を訪ねトンレサップ計画担当者のボンヘア氏と短い面談後に空港へ向かった.

 

 午後4時にプノンペン空港へ到着し,すぐにロイヤルカンボジア航空VJ037便にチェックインした.35キロのスーツケースが超過料金をとられやしないかと心配だったが何の文句もなく通してくれる.座席も進行方向に向かって右の窓側5Fがもらえた.待ち時間に国建協事務局へ電話を入れ手短に近況を報告する.そして時間つぶしに空港内レストランでコーヒーでもと思っていたが,あいにくの改装工事でレストランは閉鎖されていた.しかたなくいったん空港の外へでて売店でコーラを買う.「いくら?」とたずねると,売店のおばさんから「1ドル」との返事が返ってきた.1ドル札を手渡しながら「1ドル?」と意味ありげな笑顔を向ける.するとおばさんは決まり悪そうな顔をしながらコーラとお釣りの2000リエルをわたしてくれた.

 午後5時前に機内へと案内され,その10分後に飛行機はポチェトン空港を離陸していった.眼下には水浸しになった大地がみえる.プノンペン周辺はところどころに大きな水たまりがある程度だが,対岸のメコン河左岸一帯は地平線の果てまで浸水していた.メコン河とトンレサップ川とを分かつチュロイチャンバーもあちこちが冠水している.飛行機が西へむかうにつれて大地の状況がよりよく確認できるようになった.トンレサップ川の両岸のほとんどに水があふれ出していて,かろうじて浸水をまぬがれたらしい主要道路や民家のならぶところだけが茶色い泥水上に緑の帯となってみえていた.

 

 

 飛行機がさらに西のコンポンチュナン上空あたりにさしかかった.昨年8月にソタムといっしょに深夜まで漂流したあたりだ.乾季ならば特徴的な二重蛇行するシェムリアプ川だが,右岸の一部や左岸のほとんどが水没しているためその独特の地形もわかりにくくなっている.その西となるヴィール・フォーク付近もかなりの地域が濁水に被われていた.

 

 

 ヴィール.フォークをすぎたあたりで視界が厚い雲にさえぎられた.そしてシェムリアプに近づき徐々に高度を下げ始め雲から抜け出した飛行機の窓からまず見えたのは,例年の雨季で見るよりもさらに数キロは内陸部にまで入り込んだ湖岸線だった.ふつうならば陸地の凸凹や植生のため雨季の湖岸は不規則になる.しかし,今年の湖岸はその凸凹のある領域をはるかに越えた内陸にまで浸入したようだ.はっきりとした直線に見えていた.さらに高度を下げた飛行機は島となったクロム山上空を通過した.乾季には湖岸から2キロほど離れた丘となるこの山は,雨季になると周囲のかなりの部分が水と接するようになる.しかし,これほど完全に水に取り囲まれたこの山を見るのは初めてのことだ.

 

 

 クロム山の北側にはシェムリアプ市へと続く道路がまるで田圃のあぜ道ように続いていた.さらに高度を下げた飛行機からはすっかり水没した田畑の細部が見えるようになった.

 

 

 浸水した田畑のすぐ向こうにはアンコール時代の巨大貯水池西バライが見える.西バライのこれほど近くにまで湖が達しているとは驚きだ.西バライのやや右手にみえるのがシェムリアプ空港.着陸直前の飛行機から遠くにクロム山が見えた.まったくの島だった.

 

 

 午後5時40分.シェムリアプ空港に降り立った.スーツケースを受け取ったあと,顔見知りのタクシーをつかまえて市内のバイヨンホテルへ向かう.途中の市場でビールと清涼飲料を買い込んでおく.ホテルのフロントには上智大学の田代亜紀子さんからの伝言がとどけてあった.午後7時から明日担当する緑陰講座の打ち合わせを兼ねて夕食会を開くとのご案内.急いでチェックインをすませ手早くシャワーをあびて指定のアルンレストランへ出かけた.

 少々早く着きすぎたらしくレストランには誰もいない.しかしすぐにプノンペン芸術大学の卒業生で現在は東京芸術大学に留学中のケオ・キナル君がやってきた.彼につづいて緑陰講座受講の学生たちや世話役の丸井雅子さん,田代亜紀子さんらが続々と入ってきた.全部で30人近くにもなるだろうか.この人数を引き連れて明朝のトンレサップで舟が手配できるかやや不安になる.それと同時に例年以上の増水となった湖の状況も気になってくる.

 にぎやかな夕食を済ませたあと夜の講座を控えた学生諸君と別れ,キナル君とふたりでホテル近くのビヤホールへ入った.そこでビールを飲みながら午後10時までをすごし,彼を見送りながらホテルへ帰る.するとロビーで石工の小杉孝行さんとばったり出会った.6年ぶりの再会だ.なつかしい昔話に話がはずみそのまま近くのバーへ.そこでさらに酒がはいり部屋に帰り着いたときは午前零時をとうに過ぎていた.明日の不安もどこかへ忘れシャワーも浴びずに就寝.