トンレサップ湖調査2000−02

2000年8月26日〜9月12日

(2:8月29〜30日)


8月29日(火)シェムリアプ

 今日は上智大学緑陰講座の講師を務める日だ.朝食後すぐに上智大学の研修所を訪れたら学生たちは舟着き場へ出発したあとだった.急いであとを追いかけクロム山の麓あたりでようやく追いつく.そしてそのまま学生たちを連れてクロム山へ登ることにした.アンコール三聖山のひとつクロム山の山頂には訪れる観光客こそ少ないが小さなクメール遺跡がある.立派な参道ができたため登るのは容易だ.20分ほどで山頂の遺跡に到着した.

 

 

 山頂へ続く参道から大きく水域の広がったトンレサップ湖がよく見えた.水上集落のチョンクニー村が山裾にまで移動してきている.これほどまでに拡大したトンレサップは初めてだ.振り返るとシェムリアプ市内へと続く道路の左右も冠水していた. 

 

 

 山頂で簡単な講義を始めた.トンレサップ湖の特徴やクメール人とのかかわりなどを手短に説明する.しかし,息を切らした学生たちは聴いているようすもない.最後に「何か質問は?」で締めくくろうとしたら,「根津甚八に似てるって言われませんか?」.これが唯一の質問だった.

 下山後,湖の案内用に観光船3隻をチャーターした.例年以上に拡大した湖のおかげでクロム山の山麓に舟着き場が移動してきている.学生たちに分乗してもらい湖へと向かう.とおりかかった監視所が増水のために沈まんばかりになっていた.

 

 

 水上集落の屋根や庭にはゆでた淡水エビが干してあった.オレンジ色が目にあざやかだ.水上集落から浸水林あたりまでは波もおだやかだった.しかし,浸水林域から沖へでたとたんに大きなうねりで舟が揺れ始めた.大きな波しぶきが船内にとびこんでくる.楽しそうな笑顔を見せていた学生たちも形相を変えて船縁にしがみつく.この波のためか沖には漁をする舟影もなかった.

 しばらく船の揺れを楽しんだあと船首を回して水上集落内へと戻る.途中でいったん上陸して反対側の湖上にあった水上カフェでカンボジアコーヒーを楽しむ.となりのカラオケから聞こえてくる調子外れの歌声がやけにうるさい.そして,シェムリアプに戻って学生たちと昼食をともにし緑陰講座の講師役はおしまいとなった.

 

 

 午後すぐに国連ボランティアの遠藤宣雄さんを事務所へ訪ねた.久しぶりにお目にかかる遠藤さんはあいかわらずカンボジアが好きでたまらないようす.楽しいひとときを30分ほど過ごして席を辞し,それから市場へ明日からの調査に必要なものを探しにいった.大きなバッテリーが31ドル.日本で買うよりずっと安い.バケツやロープなどの必要機材すべてが1時間もかからないうちにそろってしまった.

 調査本隊の到着は午後5時半だった.ホテル前のカフェで調査機器の点検整備をすませてから空港へと出迎えに行く.ほぼ到着予定時刻になると頭上から轟音が響いてきた.カンボジア航空にしては正確なものだ.そして本隊の諸氏が大きなコンテナやスーツケースとともに現れた.まず滋賀大学の遠藤修一さんがやってくる.長旅の疲れやさまざまな艱難辛苦のためかお疲れのご様子だ.北海道大学の片倉晴雄さんや国際湖沼環境委員会の箕田冠一さん,研究協力者のブンタ君の姿も見える.

 これが初対面となる大阪電気通信大学の奥村康昭さんや弘前大学の大高明史さんへの挨拶もそこそこにすべての荷物をワゴン車に積み込みホテルへ向かう.途中で市場に立ち寄り日用品などを買っていただく.チーム用にと缶ビールも2ダース購入したが,保管する冷蔵庫の選択をあやまったためこのビールは最終日まで一本ものめなかった.

 夕食前に日本に全員集合の連絡をしておこうと電話をかけに行った.まず郵便局前の電話ボックスへと向かう.テレフォンカードはプノンペンで余分に購入してあった.しかし,そこにあったはずの電話はいつの間にか撤去してある.タプロームホテル前の電話もない.ドライバーのチュアンが心当たりをすべて回ってくれたがどこにもない.理由はわからないものの,どうやら市内の国際電話機すべてがなくなったようだ.

 どうやっても電話が見つからないため日本への連絡はホテルからファックスを送ることにした.ファックスを送るのにもずいぶんと手間取ったがどうやら送信に成功したようだった.そしてこの夜はキナル君も交えてサマピアップレストランで夕食をとり,それから近くのビヤホールで調査の成功を祈っての乾杯.今朝の湖の荒れ模様が気になるものの,酔いも手伝って午後11時にはベッドへ.


8月30日(水)シェムリアプ

 今日から調査が始まる.午前6時に起床し機材をととのえてから朝食に降りた.ホテルのレストランには小箱を抱えた遠藤さんがすでにいた.ほかの方々も次々とやってくる.フランスパンにオムレツという朝食を済ませたところで,箕田さんの日本語通訳をつとめてくれるタイ・ホート君がホテルにやってきた.これで本調査の全メンバーがそろったことになる.ワゴン車と乗用車に全員が分乗して午後7時にホテルを発った.

 途中で市場に立ち寄ったため船着き場に到着したのは午前8時だった.そこで昨日交渉済みの観光船を一艘借り受けて出航する.初めてトンレサップを訪れる奥村さんや大高さんは水上集落がとても珍しいようす.さかんにシャッターを切っている.うねりはなく静かな湖面だった.しかし浸水林域から沖へでたとたんに船が大きく揺れ始めた.昨日と同じだ.今日は風も強い.はるかかなたのクロム山が森陰に見え隠れする.

 

 

 揺れる船上から採泥器をおろす.右舷では奥村さんもCTD観測器を投入している.船が風に流されるため機械が思うように作動しない.ようやくのことで引き上げたのは青みがかった茶色い泥だった.わりと緻密で均質.わずかにシジミの破片が混じっている.しかし,この日に観測ができたのはこの一地点のみ.大きなうねりに転覆の危険もあったため,さらなる観測はあきらめて舟を戻すことになった.それにしても誰も船酔いしない.酔っていたのはブンタ君のみだ.

 

 

 水上集落の半ばにさしかかると右手に水上小学校がみえてきた.教育学部所属の大高さんが学校を見てみたいとのこと.そこで舟を学校の横に係留し授業参観をさせてもうらことにした.いきなりの訪問にもかかわらずこの申し出を先生たちが快く許してくれる.みな若い.まだ20代後半といったところだろう.理解しやすい英語で学校のしくみを説明してくれた.三棟の校舎はそれぞれが二部屋に分かれていて,それぞれの教室に分かれて各学年の授業が行われているらしい.人数の多いクラスもあればたったふたりのクラスもある.

 

 

 黒板の上には王女の肖像画が飾られている.たったふたりのクラスでは,男の子が指し棒をもって黒板に向かい女の子がそれを書き写していた.ふたりとも輝くようないい目をしていた.見守る先生の目も温かい.

 

 

 午前11時前に船着き場に戻ってきた.そしてクロム山に登ってみることになった.昨日に引き続いてのことになる.参道の階段を上り,それから山頂へと砂利道を歩く.途中にはこの山を構成する流紋岩の露頭がある.道路の補修用にこの流紋岩が採石されていた時期もあった.生物チームはさっそく捕虫網を広げて臨戦姿勢をとる.全身真っ赤なトンボがすぐに捕まった.みごとな網さばきに感心する.山頂付近に一本だけあったウリの木が片倉さんのお気に召したようだった.

 

 

 講義中だった前日とは違い,この日は水域の広がった湖の姿をじっくりと観察することができた.例年ならば雨季でも山麓付近は赤茶色の陸地が見えているのだが,今年はそこまで水に被われている.比較的高く茂った木々のみが水面上にこずえをのぞかせている.乾季と比べたらその違いは圧倒的だ.木々の配列で乾季との比較がなんとか可能になる(右の写真は1996年の乾季).

 

 

 クロム山の北側も水に囲まれていた.一昨日に飛行機から眺めた光景ではあったが,あらためて見ると拡大した水域の到達範囲に驚かされる.山麓では移動してきた水上集落と固定された陸上集落とが混在してしまっていた.

 

 

 クロム山から下山し市内のモノロムレストランで中華料理の昼食を賞味してホテルへ戻る.一休みしたあと全員で市場へ.係留観測での錘となる鉄塊60キロや機器洗浄用の清水などを購入し,そこで他の方々とは別れて上智大学の研修所へ石澤良昭教授を訪ねていった.しかし多忙の石澤先生の消息は研修所でも知れずじまい.緑陰講座受講学生たちは遺跡から掘り出された土器洗いに忙しいようす.誰もかまってくれそうにないため面会をあきらめてホテルへ戻り,カフェで会計計算や野帳の整理をしてすごす.

 午後7時からバイヨンUレストランにて夕食.以前も高級レストランではあったが,経営者がかわったせいかさらに豪華なレストランとなっていた.この10月からはアプサラダンスショーも開くとの説明がある.可愛らしいウエイトレスさんたちがお酌をしてくれる.うまいカンボジア料理と冷えた生のタイガービールを楽しんでホテルへ.そして同じホテルに宿泊している緑陰講座受講生の二名をともなって近くのビヤホールへ.この二人の男子学生のみが関西学院大学生だという.上智大学の学生たちは全員が研修所近くのゲストハウスにいるらしい.鼓膜に響く歌声に辟易しながらのビールで一日が終わった.