トンレサップ湖調査2000−02

2000年8月26日〜9月12日

(11:9月9〜12日)


9月9日(土)プノンペン

 この調査に参加した他の方々は今日の早朝便で帰国する.そのため午前4時すぎに起床し階下のカフェレストランへ降りた.ホテルのロビーにはスーツケースがならんでいる.申し訳なくも従業員のみなさんに早起きしてもらっての朝食を終え,手配のパジェロ2台に分乗して空港へと向かった.道路が空いていたせいか20分ほどで空港に到着する.すぐにチェックインと思ったが出発2時間前というのにまだカウンターが開いていない.少々待たされたあとで無事にチェックインを済ませていただく.明らかに重量超過の荷物もなんらとがめだてなく通過させることができた.そして出国ロビーへ入るみなさんを見送って空港をあとにする.

 午前6時半にホテルに戻って再びベッドの中へ入る.目が覚めたら午前10時半になっていた.まずはコーヒーを飲みにカフェへ降りる.明るい光のせいかコーヒーのおかげかだんだんと頭が冴えてくる.そこへ午前中の仕事を終えたラオさんがやってきた.たまたま会議でプノンペンに滞在中だった東京大学の原田至郎さんや丸井さん,そしてスヴァイ・レンさんもいっしょにアジアホテルでの昼食となった.

 

 

 昼食後に中央市場へ行く.土曜日のせいか市場はたくさんの人でにぎわっていた.しかし,土産物屋のならぶ通路に観光客の姿は少ない.Tシャツや銀細工の店などをのぞき,土産にほしいものをいくつか注文してホテルへ戻った.

 

 ホテルに戻って会計の整理をしておくことにした.まず野帳に書き込んでいた会計記録ともらった領収書とをひとつづ照らしあわせ日付順にならべて明細や金額を罫紙に書き込む.そして合計金額や用途別合計金額などを電卓で集計し,それを改めて領収書と照らし合わせておく.この作業に夜までかかった.部屋の窓から見えた外の風景,そして机の上のバイヨンビールと電卓,野帳,ペン,財布.財布の下に領収書の束がある.

 

 

 会計整理を済ませたときには午後8時近くになっていた.原田さんとともに近くの台湾料理屋へおそい夕食に向かう.料理を注文し終えたときになって,PITの谷川茂さんがやってきた.連絡をとりあっているとお互いの都合がなかなか合わないものだが,こんなところでばったり出会うとは面白い.楽しい夕食を終えてホテルへ戻り,会計結果をもう一度見直してベッドへ入る.


9月10日(日):プノンペン→バンコク

 午前8時に起床しまず階下のカフェで朝食をとる.するとホテルの玄関からシェムリアプにいるはずの田代さんが入ってきた.先ほどプノンペンに着いたところだという.彼女に朝食につきあってもらってから部屋へ戻った.そして,シェムリアプでとりあえず梱包した試料の箱をすべて開封し,水漏れがないかなどを確認したうえですべてを梱包しなおす.それからそれぞれの箱の重さを測ってみたら,ぜんぶあわせても輸入許可の20キロにはるかに足りない約10キロしかなかった.調査前半にほとんど仕事ができなかったせいだ.

 午前中で梱包作業を終えることができた.そこで,昼食がてら中央市場を訪れお土産を買い込んでおいた.いつものTシャツ屋でCMACのシャツを4枚.続いていつもの銀細工屋で銀のブレスレットを10個ばかり買っておく.

 

 

 そしていつもの宝石屋さんへ.屋内ではお姉さんとその姪御さん.入り口付近では妹さんがそれぞれに宝石屋を営んでいる.お姉さんの店でエメラルドのペンダントをいくつか買ってみた.これに籐のランチョンマット2セットをあわせたすべての土産代が約50ドル.

 

 

 午後3時にホテルをチェックアウトする.ロビーで出会った石澤先生やラオさんへの挨拶を済ませてタクシーで空港へ.20分ほどで空港に到着した.すぐにバンコク行きTG697便にチェックイン.ここでも超過料金はとられずに済んだ.そして空港税を支払ってパスポートコントロールへ向かった.マルチプルビザをもっているせいかその確認作業などで少々待たされるもののじきに待合ロビーに入ることができた.

 機内へと案内されるとすぐに飛行機は離陸体勢に入った.上昇する飛行機から洪水にみまわれたプノンペン郊外が見える.しかし,飛行機は低くたれ込めた雲の中にすぐに入ってしまった.

 

 

 バンコクのドン・ムアン国際空港に到着したのは午後6時すぎだった.パスポート検査をとおり受け取ったスーツケースを空港の手荷物置き場にあずけてタクシーでホテルへ向かう.最近のバンコクではタクシーの無法ぶりが著しい.運転手は乗り込むとすぐに法外な代金をふっかけてきた.それを断って予想代金にチップを加えたくらいの額を告げる.するとこちらがバンコクに馴れていると見て取ったのかそれですぐに了解してくれた.

 午後8時にホテルへ到着し部屋に入ってすぐにチュラロンコン大学のタナワットに電話をかけた.明日の訪問予定の確認のためだったが彼は出ない.あきらめて階下のレストランでフィッシュアンドチップスの夕食をとり,ビールをのみながらタイ音楽の生演奏に耳を傾ける.そして部屋へ戻りシャワーを浴びて午後11時に就寝.


9月11日(月):バンコク

 バンコクのマルアイガーデンホテルに泊まるのはいつも帰国前日だ.一仕事が終わった安堵感のせいかいつも朝寝をしてしまう.しかし,この日は早くにかかってきたタナワットの電話で目が覚めた.午後に彼の研究室を訪れる約束をとりつけて朝食に降りた.

 午前中はホテルの部屋で調査記録の整理などをしてすごす.部屋の窓からはバンコクの都心方向が見えていた.ゾウ型をしたエレファントタワーが近い.その後方には高層ビル群が見える.

 

 正午ちょうどにホテルをチェックアウトしタクシーで市内へ向かう.昼間のタクシーは安心だ.ふっかけられる心配はまずない.故意に遠回りをされる危険はあるかもしれないがメーターどおりの金額を要求してくる.時間に余裕があったため伊勢丹前でタクシーから降りた.ここからならば大学は歩いてすぐの距離だ.道路を挟んで向かいのナライパン内にある食堂で昼食をとる.そしてちょっと買い物をしてからチュラロンコン大学へ向かった.

 ときおり雨のぱらつく天気だったが濡れるほどのことはない.高架鉄道の路線沿いにしばらく歩き左折して大学の構内へ入った.タナワットの研究室はキャンパスの反対側にある.学内をぶらぶら歩いていくと女子学生の姿がやけに目立つのに気づいた.あとでたずねてみたら女子の合格者のほうが圧倒的に多いという.

 午後3時ころに地質学教室のビルに到着する.そしてタナワットの研究室で先々の仕事の打ち合わせを済ませ,倉庫でバンコク盆地のボーリングコアを見せてもらってから彼が経営するレストラン「See You」へ向かった.グルメのタナワットは趣味を副業にしている.伝統的なタイ料理にいろんな工夫をこらしたものがこのレストランで食べられる.今回はトムヤムクンにココナツのミルクとゼリーを加えたものを試食させてくれた.辛みが抑えられていてなかなかうまい.彼の店でアルバイトをするヴォーンも交えての食事にビール.いつもながら帰国前の楽しいひとときを過ごしてタクシーで空港へ向かった.

 

 

 空港に着いたのは午後10時半だった.あずけていた手荷物を受け取り日本航空のカウンターでJL622便にチェックイン.そしてパスポート検査をとおって出発ロビーに入った.タイレストランのコーヒーで酔いを覚まし事務局や研究室にゾウ型のチョコレートを買って待合ロビーへ.午後11時半に機内へと案内されじきに飛行機は離陸体勢に入った.

 すぐに眠ろうとしたが,ビールの酔いとコーヒーの覚醒作用とが反発しあったようで寝付けない.中途半端に眠った状態ながらも飛行機は日本へと向かって飛び続ける.


9月12日(火):関西空港→金沢

 朝食の案内放送で目が覚めた.時計をみると午前5時.しかし頭の中はまだカンボジア時間の午前3時だ.おかゆをすすってうとうとしかけたときに飛行機は関西空港に到着した.検疫をとおりパスポート検査を受けてあずけた荷物を受け取りにいく.かなり待たされたあとでターンテーブル上にグレーのスーツケースを発見した.それから植物防疫所で輸入禁止品の輸入手続きを済ませて空港の外へ.もう9月もなかばのせいか外の空気がひんやりと感じる.

 関西空港を午前8時48分発のはるかで出発.順調に走っていた列車だったが大阪市内に入るあたりから停車と減速とを繰り返すようになった.「水害の影響でダイヤどおりに運行できない」とのアナウンス.カンボジアの水害を見てきたばかりだった.しかし,日本でも水害だとは知らなかった.列車の中で睡眠不足を解消しようと思っていたがこれではおちおち寝てもいられない.ブラックの缶コーヒーを買ってくる.

 

 はるかは予定より1時間遅れて新大阪に着いた.東海道線が軒並み送れているらしい.北陸本線にもその影響があるとのこと.ホームで待っていたら青森行きの白鳥が入ってきた.とりあえずその自由席に乗り込む.新大阪では空いていた車内だったが京都駅でたくさんの人が乗り込んできた.東海道本線が不通になったせいだろうか.車内は立ったままの旅客でぎっしりになる.混み合った車内のせいかまたも熟睡できないまま金沢へ.白鳥も停車や減速を繰り返していたが午後2時すぎに金沢駅の到着ホームへ滑り込む.金沢駅構内に流れる琴の音色がいつもどおりに調査の終わりを告げてくれた.

 

− 完 −


 

調査隊メンバー

 左から,北海道大学理学部片倉晴雄教授(生物),大阪電気通信大学奥村康昭教授(水文),滋賀大学教育学部遠藤修一教授(水文),東北学院大学大学院文学研究科加藤緑女史(文化人類学),国際湖沼環境委員会箕田冠一氏(水産),弘前大学教育学部大高明史教授(生物),そして正面の空席がわたし(地質).