トンレサップ湖調査2000−02

2000年8月26日〜9月12日

(5:9月3日)


9月3日(日)シェムリアプ

 今日はカンボジア入りして初めての日曜日.湖の状況が回復しつつあったのであまり気が進まなかったが,仕事を休んで全員でアンコール遺跡見物に行くことになった.大高さんにとっては初めての遺跡巡りになる.観光ルートを一任されたため,午前中のうちに観光客の少ないアンコールワット,そして午後にバイヨンとタ・プロームへ行くことに決めた.また,この日の夕方には東北学院大学大学院の加藤緑さんが研究協力者としてヴェトナムからバンコク経由でシェムリアプに到着することになっていた.

 休みだというのに午前6時に目が覚める.仕方なくレストランへ降りてみたらすぐに他の方々もやってきた.久しぶりにゆっくりと朝食を楽しみそれから部屋で観光準備.日本から持参した観光ガイドを念のためリュックにつっこんでおく.午前9時にワゴン車に全員が乗り込んで出発する.途中の検問所で観光パスをそれぞれ購入してもらいアンコール遺跡内へと入っていった.

 アンコールワットは正面から日のあたる午後が観光に最適といわれる.しかし,ある事情のため観光客の少ない時間帯をあえて狙った.西参道をわたって西塔門をくぐる.観光客の姿はほとんどない.そして参道をとおってアンコールワット本殿へ.

 

 

 アンコールワットの中央堂塔へと登る.もっともゆるやかな西側階段がこのとき修復工事中だった.遠藤さんと箕田さんは登らない.「富士山へ,登らない馬鹿,2度登る馬鹿」との格言を教わる.中央堂塔にかぎらずアンコールワットの階段はどれも急だ.高所恐怖症の人は降りるのに苦労する.平気で降りてゆく片倉さんと大高さん.恐る恐る片足を踏み出す遠藤さん.左手にはすくんでしまったらしい一観光客の姿があった.

 

 

 片倉さんの右手にはいつの間にか捕虫網がにぎられていた.これが観光客の少ない午前中にアンコールワットを訪れた理由だ.世界遺産でもあるお寺で殺生してもいいものか・・・,こんなものを振り回して監視員にとがめられないものか・・・.大丈夫だろうとは思っていたが一抹の不安が残る.頼りになるのは首からぶらさげたアプサラ発行の遺跡内調査許可書のみ.念のため「トンボ」というクメール語を覚えておく.

 

 

 アンコールワットの空にはたくさんのトンボが舞っていた.片倉さんはナーガの陰で,一方大高さんは芝生の上で頭上のトンボを狙う.真っ白い網が青空に映える.井上陽水の「少年時代」がどこからともなく聞こえてくるような光景だ.何匹かがすぐに捕獲され標本ケースの中へしまい込まれた.遠藤さんもトンボ採りに挑戦してみたもののやはりプロにはかなわない.何組かの観光客たちが珍しそうに眺めていたが,幸いにも懸念していたような事態にはならななかった.

 

 

 アンコールワットには午前11時まで滞在した.驚くほどに人気のない参道が珍しい.西参道からみる環壕は青々とした水が美しい.静かな水面にふとトンレサップを思い出す.西参道前で待っているはずのワゴン車をさがす.いつもならばドライバーのチュアンさんがすぐにやってきてくれるのだが彼の姿が見あたらない.車は駐車場の陰でみつけたものの彼の姿はない.困惑していると近くの木陰からひとりの男性がやってきた.「チュアンは奥さんが産気づいたため自宅に戻った」とのこと.そして,これから先は自分が彼の代わりをつとめるということだった.

 

 

 アンコールワット前のレストランで早めの昼食をとり,それから新しいドライバーの運転でバイヨンへ向かった.アンコールトムの南大門でいったん停車して観光する.何人かの呼び込みが麦わら帽子を売りにくる.かなりのしつこさを適当にあしらって南大門をくぐり,そこで車に乗り換えてバイヨンへ向かった.

 

 

 バイヨンでもこの雄志を見ることができた.暗灰色の砂岩に白い網がとても目立つ.クロマー流用のオレンジ色の鉢巻きがなかなかおしゃれだ.網振りでお疲れになったのかバイヨン前の茶店で一休みとなった.

 

 

 タ・プロームへ向かう途中でアンコール時代の橋梁遺跡スピエン・トマーへ立ち寄った.新しくできた橋から見下ろすシェムリアプ川はいつになく増水していた.水も濁っているし流れも速い.ここで遠藤さんが採水するため川岸へ降りていった.その姿が木立の中に消えてゆく.流されはしないかと濁流渦巻く川面を見ていたが,数分後に無事戻ってこられた.

 

 

 午後2時半にタ・プロームへ到着する.ジャングルに呑み込まれた遺跡として有名なところだ.遺跡を押さえ込むように生長した大木はかつてのままだが余分な木々は切り払われたような気がする.

 

 

 タ・プロームを一時間ほど見てまわったあと,アンコールワットの東側を回ってホテルに戻る.緑くんを迎えに行くにはまだ間があったため,ホテルのカフェでコーヒーをのみながらノートを清書する.すると,これから帰国という石澤教授とばったり出会った.石澤先生はかつての恩師といってもいい方だし,カンボジアで活動するときにはひとかたならぬ世話にあずかっている.今回の調査経過の報告をふくめ,先生の出発までの間楽しい会話の時間を持つことができた.

 午後5時半に郵便局へ立ち寄ってから空港へ向かった.そしてほとんど待つこともなく頭上から爆音が響き,彼女が乗ったバンコク航空のターボプロップ機がシェムリアプ空港に到着した.ホーチミンからバンコクへの移動経路に不安があったため,彼女が無事に着いてくれるかかなり心配だった.しかし,搭乗客の行列の先頭あたりにヴェトナム傘を背負った姿を発見して一安心.入国手続きの済んだ彼女は大きなスーツケースを引きずりながら外に出てくる.元気そうなようすにあらためて安心する.夕食の時間まで間がなかったためすぐにバイヨンホテルに引き返した.

 この日の夕食は緑くんの歓迎会も兼ねてちょっと豪華なクーレン2レストランへ行った.日曜日のせいかレストランはほぼ満員だった.屋外の敷地の中に店員が急いでテーブルをしつらえてくれる.食事はバイキング形式でひとり11ドル.ただし,飲み物代は別.さまざまな種類の料理がずらりと並べられている.スパゲティやハンバーグなど,シェムリアプでこれまでに見かけたことのない料理も混じっている.カンボジアを初めて訪れる緑くんにはすべての料理が珍しいようだ.皿に山盛りの料理を載せてテーブルに戻ってくる.食事の途中で雨が降り出したためテーブルごと屋内へと引っ越した.ちょうどそのとき舞台ではクメール舞踊が始まった.優雅な踊りもあればコミカルな劇もある.箕田さんがとても興味をもたれたようだった.カメラ片手に舞台の前でご覧になっている.

 ひととおりの舞台のあとは踊り子さんたち全員がならんでのご挨拶.その中に紛れ込む酔っぱらいもいる・・・.

 

 思わぬ舞台の見事さにクーレンレストランをあとにしたときには午後9時半になっていた.ホテル近くのカフェで緑くんと明日からの調査の打ち合わせをしておく.先ほどの舞台の興奮もあってか彼女にはヴェトナム調査の疲れもないようだった.午後10時半にホテルへ戻り,シャワーを浴びてすぐに就寝.